弁護士 中村 正彦(なかむら まさひこ)
経歴
昭和46年 | 大阪府八尾市にて生まれ、同市に育つ
子ども時代は、祖父母との同居も長く、祖父と一緒に時代劇の再放送を山ほど見た経験等が、私の血肉になっているように思います。 |
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昭和62年 | 大阪府立高津高校入学 |
平成2年 | 京都大学法学部入学
母子寮(現在の名称は母子生活支援施設)という児童福祉施設で子どもたちと遊ぶボランティアサークルの活動に明け暮れた大学時代でした。 |
平成8年 | 司法試験合格(25歳) |
平成9年 | 京都大学法学部卒業 |
同年 | 最高裁判所司法研修所司法修習生(第51期) |
平成11年 | 大阪弁護士会に弁護士登録(27歳)し、クレジット・サラ金問題の先駆者であり、消費者被害救済に携わる弁護士のリーダー的存在であった木村達也弁護士の事務所で弁護士執務をスタートする。
タフな事件の多い中、大変鍛えられ、また弁護士としての基本姿勢をたたき込まれました。 恵まれた環境で修行させていただいたことに、今も感謝の思いです。 |
平成22年 | 弁護士法人松尾・中村・上法律事務所開設(共同経営者)。現在に至る |
モットー
「普通の暮らしを守る一助に」「受け継ぐ」 |
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一家言あり
男女間トラブル・家族内紛争について |
何よりなすべきなのは、問題となっている深刻な関係・環境から早く脱出することです。 閉ざされた空間や人間関係においては、非常識な価値観や無茶苦茶な言い分が大手を振ってまかり通っています。そこから一歩踏み出して、第三者や社会の価値観や常識を自分の中に入れましょう。 そして、その問題を日の当たるところにさらし、法律が適用される局面に持ち込めば、解決は自ずと見えてきます。 |
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事業者破産について |
師木村達也弁護士いわく「企業には寿命がある。時期が来たら名誉ある撤退が重要。無理な延命は傷を広げる。」 正にこの言葉どおり、事業の困難な局面においては、「早期の相談、潔い決断、軟着陸の実現」が何より重要です。 相談、決断が遅れてしまうと、再生の途が閉ざされ破綻するしかない局面に追い込まれてしまうことも少なくありません。 早期の相談、潔い決断によって、選択肢が広がり、結果、無用不要な痛みを回避した軟着陸が実現可能となるのです。 |
同僚弁護士からのコメント
松尾 善紀弁護士から |
中村弁護士とは、大学時代を含めてかれこれ四半世紀にもなる付き合いなのですが、常々、私が見習いたいなと思うところは、以下のようなところです。 中村弁護士は、私より年下なのですが、仕事上の質問や相談をすると、的確なアドバイスをくれるだけでなく、私を励ますところまでしてくれる、どこまでも気の利いた男です。 |
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会務・役職・弁護団等
大阪弁護士会 子どもの権利委員会所属 同委員会 委員長(平成29年度) |
少年事件や児童福祉関係、学校問題の事件に取り組む弁護士で構成される委員会です。 私自身は、児童虐待問題など、児童福祉関係の分野で重点的に活動しています。 |
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法律援助事業運営特別委員会所属 |
法律援助事業とは、弁護士費用をご自身では十分に準備できない依頼者の方々のために、弁護士会が資金面で手当てして費用の立替などを行う制度です。その運営を担うのが当委員会です。 弁護士会の会務の中では裏方になりますが、ご縁があり、取り組んでいます。 |
沖縄集団自決冤罪訴訟原告弁護団所属 |
終戦間近の時期、沖縄県慶良間諸島に米軍が上陸してきた際、住民が集団自決をしたのは、日本軍の命令ないし強制によるものであるという言説が全くの虚偽であることを明らかにしようとしたこの訴訟で、原告側の弁護団の一員として闘いました。 |
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判例雑誌に掲載された獲得裁判例
民主法律時報386号・2004年7月 |
自宅に持ち帰って行った仕事(自宅作業)が業務であるか否かが主たる争点となった労災認定訴訟において、自宅作業を業務と認め、従業員の発症したくも膜下出血を労災と認定した事例(従業員側代理人) |
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